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​WORKSHOP PHOTOS & REVIEWS 写真と振り返り

2025 Workshop in Shizuoka    9.8~9.14, 2025

月曜日

下田での学びが多面的に広がった一日だった。まず津留崎さん(民泊『風まち下田』のオーナー)のお話から始まり、外部の人と地元の人を自然につなぎ、自身の利益を第一に考えるのではなく、人が集まりやすい空間を整えてきた姿勢に強く心を動かされた。東京からの移住者でありながら地域に溶け込み、人々が安心して交流できる場を築いてきたことはとても印象的だった。また、東京都民と比べた下田市民の余裕ある暮らし方や、年齢や立場を超えた近所付き合いの文化に触れ、都市生活とは異なる豊かさを実感した。環境問題に対する意識の高さや、子供の行動が大人を動かすという斉藤さん(さいとう塾の塾長)の話も示唆に富み、世代を超えた変化の可能性を感じた。さらに、了仙寺での歴史的背景を学ぶ機会、BBQでの交流などを通じて、地域の文化、自然、人の魅力を総合的に体感できた一日だった。The First Day of the Shimoda Workshop went successfully, with local activists working hard to connect people from outside of Shimoda to inside, regardless of age or background. (RM)

木曜日

今日は南伊豆で地域の課題と魅力を肌で感じる一日になった。狩猟の現場では、豊富な技術を持つ猟師さんたちが後継者不足に悩んでいることや、食用として売るには、時間や施設の制限が大きいことを知り、簡単ではない現実を実感した。一方で竹運びボランティアのように、地域課題に興味を持ってもらえる仕組みづくりに希望を感じた。切っても生え続ける竹をどう活かすか、もっと創造的に考える余地があるのだと思う。南伊豆の生物に詳しい中野さんに川釣りへ案内していただいた。移住者として伊豆の自然に魅了され、この地で新しい生活を築く姿からは、地域外からの人々が自らの興味や目的を持って地域に貢献する力を改めて感じた。都会では用意されたエンタメを楽しむことが多いけれど、下田では自然に囲まれ、毎日が新しい発見そのものだと気づかされた。農業を営むショーンさん(農家・民泊の田村ロータス翔音)からは狩猟の知識や道具の使い方を学び、自分のレモンの木を守るために一から挑戦する姿勢に感銘を受けた。夜にはみんなでジビエの煮込みを作り、その美味しさを通じて、地域資源を食として味わう豊かさを実感した。More hunters needed to keep the farm crops, and more workers needed to keep the bamboo farms straight. The locals face many obstacles to survive, but at the same time, they find treasures from nature every day.(MN)

火曜日

今日は朝釣りをして皆楽しい経験をした。その次に行った水族館では下田の海の環境について様々な問題や考えを話してくれた。その話で一つ挙げられた点で人間が環境のために良いと思っていることが実際に環境を悪化しているという考えがあった。例えばウミガメの卵を人工孵化させることはウミガメの生命システムを壊しているのではないか、など。また釣りは残酷と考える人もいるが、魚からすれば、釣りということは一つの「自然現象」ではないか、など、とても考え深かった。次にすしラボのシステムのことについてもよく考えさせられた。実際自ら寿司を握るととても難しいことに皆気づいた。自分の寿司と職人の寿司を食べ比べると、職人の寿司の方がシャリとネタのバランスが完璧なことに皆気づいた。さらに、下田だからこそすしラボが成り立っていると考える人もいた。下田は人間関係を大事にする町で、手慣れていない職人が修行をして作っている寿司を食べ続け、成長を実感する人が沢山いるのだ。もしこれを東京でやろうとすると、費用、収入、人々の性格により、成り立たないという意見も上がった。最終的に今日は下田で働く人々を見て皆共通として思ったことは、下田の人は仕事を軸として生きていないことだ。自分のしたいことをやり、お互い助け合って生きている町、これこそ下田の魅力であるのだ。The Second Day was on ocean. We fished, learned how to make Nigiri sushi, and wondered about human effort to keep the ocean environment whether it is beneficial for the nature or not through the lecture at the Aquarium. Also, we were impressed with the work-life balance here, unlike big cities. (TM)

金曜日

朝8時半からビーチクリーニングに参加し、発泡スチロールのごみが多く漂流している現状を目の当たりにした。魚が誤って食べてしまうことで悪影響を及ぼす可能性があるが、実際にどのような被害が出ているのかを目で見る機会が少なく、危機感を持ちにくいのが現状である。しかし、やらなければごみ問題は解決しないため、学生が率先して行動することが、大人へのきっかけづくりになるのではないかと感じた。全員が強制的に取り組む必要はないが、「自分がやらなければ」という思いを持つ人が継続的に活動することが大切だと考えた。また、下田高校を訪問した際には、一人ひとりの意識の高さに感銘を受けた。私たちとの交流は希望者のみ対象だったにもかかわらず多くの生徒が参加し、下田の魅力を自分の言葉で語れる姿勢が印象的だった。一般的に地元の魅力を語るのは難しく、関心も薄くなりがちだが、下田高校の生徒たちは下田を深く愛し、勉強にも熱心で自習室以外の学習環境を求めるほど意欲的である。そして、下田を「再生」するというよりも「今の良い下田を守り続けたい」という思いが強く、その心構えがとても素晴らしいと感じた。Early morning beach cleaning made us think that young people should take initiative to continue, not forcing others to do. The Shimoda high school students impressed us for their passion and many future plans to keep Shimoda going. (TS)

​水曜日

この日はまず印象的だったのが、跡見学園女子大学教授の土居教授からのレクチャーで紹介された、二拠点生活と呼ばれるライフスタイルの説明であった。若者の東京への止められない流出により地方の人口減少に歯止めが効かないのが現状である。しかし、都会と地方の二つに住居を構える人が増えることで、地方創生を促進しつつ都市内の経済効果も損なうことが無い。加えて個人単位では、職場の人間関係だけで無く地方の拠点でも交流関係を持つことで、精神的なゆとりを持つことができるとも語っていた。その後は、竹に穴を開けその中に灯りを灯したアート作品である「竹あかり」の制作を行なった。このワークショップを通じて、多種多様な用途に応じて使い分けられる竹の可能性と、優秀な建材である竹を有効活用できないもどかしさが浮き彫りになった。インドネシアを始めとする東南アジアでは竹を使った建造物などが数多く点在するが、日本の建築は木造建築が主流であり一般にはまだ浸透していない。日本の竹産業を盛り上げるとともに、それらの経済的な使い方を模索していくべきだと学んだ。We learned about the new way of living in two places in order to revitalize regional areas. Also, we focused on bamboo industries where needed to explore more about its usage.(KM)

土曜日

藤田先生(慶應大学教授)のお話では、大学生活で避けられない就職活動やお金の問題について考えさせられた。特に「お金」というテーマは複雑で、投資のように人によって取り組み方が違う点が印象的。自分もPayPayポイントで投資を試したところ、最初は500円ほどだったものが一年で50%以上の1237円に増えた。お金と生活は切り離せないので、これからも学び続けたいと思った。 小篠さん(コーチ)の「自分を知る」ワークショップでは、日常に欠かせないコミュニケーションや信頼の築き方を段階的に学ぶことができた。実際のデモンストレーションでは安心して話せる雰囲気があり、自分の会話の課題に気づけたのが大きな収穫だった。つい相手の話をかぶせたり、解決策を急いで伝えたくなるが、答えを出すのは相手自身であることを意識する大切さを学んだ。今回の経験を通じて、自分の弱点と向き合う勇気をもらえたと思う。The importance of starting investment for college students and the communication of not trying to solve the problem were the main issues we learned. (MK)

​日曜日

今日は慶応ニューヨーク校の卒業生3人に、まだ30代ではあるが、今までの人生で最も大切だと感じたことを話してもらった。西和田浩平さんはプロのバンドプレーヤーを目指していたが、音楽の機材がきっかけで商社に勤め起業した。常に視座を高く持つこと、志を持って挑戦して365日学び続けることが大事だと語る。山田陸人さんはコンサル会社を経験したあと、カリフォルニアの法科大学院を卒業した。自分のビジョンを明確化すること、トライ&エラーを繰り返し挑戦し続けること、そして問題についてはトレンドに惑わされず自分で判断することが大事だと語った。また、近藤真理子さんは、医師であったが、現在は医師に対する教育という仕事を自ら作り、造形家および作家でもある。激務である医療に従事し体調をくずしたことから、やれることがいくつかあったらすべてやろうとせず、最も自分が幸せになれる仕事を選ぶこと、そして周りがなんと言おうと嫌なことは拒否することが大切と説いた。3人に共通しているのは、自分のやれることを未知の分野に広げ、常に活動しているところであり、英語に堪能であることが大きな力になっていると感じた。(FK)We had an opportunity to hear the experiences and what they feel the most important in pursuing lives from three graduates of Keio University, Mr. Nishiwada, Mr. Yamada, and Ms Kondo (Kikegawa). They all encouraged us to keep on challenging for things you really love, not to be influenced by other things.

Review essays from the participants  参加者からの感想

​「風まち」 空間の意味

私自身、建築物の内外の空間がどのように広がっていくか、その空間によってコミュニティが生まれ、人と人が繋がっていくことに興味を持っている。そのため、津留崎さんが手がけているプロジェクトにはとても 興味を惹かれ、多くの部分で共感することができた。常に新しい風を吹かせようとする姿勢にも強く刺激を 受けた。 「風まち下田」という名前には、津留崎さんの深い想いが込められている。「風待ち」とは、出航を控えた 船が都合の良い風が吹くのを待つことを意味する。1854年にペリーが下田へ来航して以来、さまざまな国 の人が行き交ってきた下田。この港町には「風待ち」という言葉が自然に馴染んでいたのだと思う。一方で、 津留崎さんは「待ち」という言葉には“受け身”の印象もあると感じ、あえて「まち」とひらがなにしたそうだ。風 を待つのではなく、自ら風を起こし、地域をもっと華やかにしていきたい——そんな想いがこの名前には込 められている。 津留崎さんご自身も移住者でありながら、地元の人と新しく来た人との間にある“見えない壁”をなくし、誰 でもふらっと立ち寄れる空間をつくっている。新しい土地で一から事業を始め、人々を巻き込みながら「まち」 を育てていくことは決して簡単ではない。それでも、特定の層を対象とするのではなく、「誰もが小さな挑戦を できる場」を提供していることが、風まち下田の温かさを生んでいるのだと感じた。たとえば、ママ友による服 のワークショップや、中学生の家庭科部による料理イベントなど、地域の人たちが自分の得意や関心をきっ かけに挑戦できる機会がある。こうした「自分の小さな興味を形にできる場」は、実は意外と少ない。興味を 持っていても、それを共有する機会がなければ、ただの関心で終わってしまうことが多い。行動することで初 めて新しい道が開かれ、人生のヒントが見えてくる。年齢や国籍、職業に関係なく、誰もが挑戦のチャンスを 得られる環境こそ、人が自然と集まり、良い循環を生むのだと思う。 「年齢も国籍も職業も、滞在の目的も本当にバラバラ。でも最近は、その“バラバラ”が自然に心地よく混 ざり合うようになってきました。」——これは風まち下田の公式サイトの言葉だ。こう言えるようになるまでに は、津留崎さん自身のたくさんの努力と、地域の人たちの協力や支えがあったのだと思う。下田という街に、 内外から集まった人々が交わりながら、新しい時代の“まち”をつくっている。その姿に、場づくりの力を感じ た。 実際に訪れた空間も印象的だった。個人の作業をしながらも大きなテーブルを囲んで自然と人が繋がる レイアウト。卓球台をミーティングテーブルとして使うという遊び心。外のデッキには竹あかりが灯り、下田ら しい温もりを感じる。地元の人と一緒に制作した色鮮やかな壁紙も印象的だった。東京でのバー経営の経 験が、この“人の集まる場づくり”に活かされているように感じた。分野は異なっても、どちらも「人が集まり、 関係が生まれ、場所が拠り所になる」という共通点があるのだと思う。 このワークショップを通して、空間づくりとは単に建物をデザインすることではなく、「人と人の関係をデザ インすること」なのだと感じた。津留崎さんの生き方や、風まち下田のような場所の在り方から、私もいつか 誰かの居場所やきっかけを生み出せるような空間をつくりたいと思った。

​立場を変えて考える

僕が訪れた静岡県下田市は日本国内であるがまるで別世界であった。人と人との距離が驚くほど近く、豊かな自然と歴史的なもので溢れていた。趣味で釣りなど海でのアクティビティを普段から楽しみ、自然環境のいい大学を選んだ僕には理想的な地域であった。ただそんな理想的な地域であっても、そこの住人は自分の住む地域に危機感を感じていると知り、今回の下田ワークショップでは実際に訪れ、学生、市長、農家の方など色々な視点から見た下田の問題点や魅力を聞き地域復興の方法を考えた。  まず風まち下田というシェアハウス施設に三日間ほど滞在する機会があった。下田市では知らない人が少ないほど、市長や海外の方も含めて色々な人が集まる施設であった。その施設を経営しているのは東京から下田に移住してきた方で、下田の人と人との距離の近さや地域の良さに感銘を受けたそうだ。さいとうスクールの子供たち、市長、風まち下田に滞在している方々とバーベキューを交えて交流している時に、人との距離の近さを感じた。人見知りをする人はまずいなかった。私が住んでいる地域ではまず市長に会う機会が滅多になく、どこかの塾の子供たち全員と知り合いになるということはまずないからだ。寿司作り体験でお世話になった方々もその日の夜には風まち下田で見かけた。色々な人が関係を持っているのだ。また新しく来た海外の方や客である僕らを歓迎し下田と自分たちの地域を比べてどう思うかや、自分の地域の魅力について話し合った。下田はこうやって人との距離が近く住みやすいこと網力の一つなのだ。  下田高校の学生たちと交流した際には、彼らの下田の好きなところと不満なところ、そして実際にそれをどう解決するかを話し合った。驚くことに学生たちは皆自分の考えをスラスラと話すことができるし、将来のことを考え下田に住み続けて地域復興に貢献したい人もいれば、下田を離れて都市部の生活を送り下田に帰省した後にそれを生かしたいという人もいた。伊豆急下田の高額な電車賃や遊び場の少なさ、自習室など勉強する場所の少なさを問題点として上げる学生が多くいた。もっと勉強したいし、もっと遊び場を作り人と時間を共有したいという彼らの言葉に、私は高校生の時に学校や住んでいる地域に不満を持っていたらそれを本気で変えたいという姿勢を持っていただろうか。我々には何もできないから考えても無駄という言い訳をしていた気がする。下田高校の学生たちのように問題があるからただ不満をいい誰かが行動してくれるのを待つだけではなくそれをみんなで変えていけるように自分たちが考えようという姿勢を皆が持つべきだと思う。  今回のワークショップでは、色々な立場からものを考えられるとてもいい機会だった。カウンセリングコーチ実践練習や、慶應ニューヨーク学院卒業生の人たちの話もたくさん聞くこともでき自分を見つめ直すこともできた。最近で一番考えることをした気がするし、自分はここまで考えることができると自分にも驚かされた。自分は何に興味があるかがわかっていてもそれをどうやって行動に移したらいいかわからなかったり、問題点の改善作がなかなか思いつかずに迷っている人はぜひ人との距離が近い下田を訪れ色々な立場の人の話を聞き視野を広げて、自分の考える力を養ってほしい。

協力>競争

今回のワークショップを通し、競争という言葉が一度も出てこなかったこと、それを感じなかったことは衝撃的だった。都市圏での判断基準、評価基準のほとんどは、競争にあると感じる。企業同士もそうだし、友達同士の会話もそこに基づいている。例えば、大学へ行き、隣に座っている人たちの会話を聞いてみればわかる。「おれは〜をした」「私は〜を買った」「お前〜できる?」などの会話で溢れている。善悪は別として、非常につまらない。  では下田で出会った人々はどうだろう。競争心が全くない、というわけではない。しかし、みなそれぞれが実現したい事があることを前提として、人が集まり、確実にそれに向かって進んでゆく。他国から来た人が、この光景だけをみたら、日本はなんて民主的で平和で、協調性があるのだろう、と感じるのではなかろうか。  また、印象的だったのは、地元の下田高校の生徒達である。彼らは、物事を俯瞰する習慣がついている。暇な時間にすることの選択肢が少ないと、自らがいる場所の性質を深く考える時間がある。その土地に根付いた文化や習慣が自然環境の中で育まれる。そうして、考え抜かれた価値観が、年齢と共に外から取り入れてきた、もしくは入って来た価値観により、変化していく。その変化のギャップにより、優れた俯瞰能力を身につける。今までの当たり前と、新しい当たり前がかけ離れていればいるほど、大きな成長の種となる。  都会に生まれ、そこで一生を過ごすような人生を送る人にとっては、自ら環境を変えるという選択をしなければ、そのギャップに気がつく機会が少ない。必然的に、人間としての成長の幅が狭い。その点、下田高校の生徒は、環境に恵まれていると捉えることができる。確かに、青年期に出来ることの選択肢が限られている、というのは、一見退屈で、悲観的な思考に陥ってしまう可能性も高いだろう。ただ本当に捉え方次第で、大学生、社会人になるにつれ、増えた選択肢の中で活躍できるのは、下田高校の生徒たちのような存在であるかもしれない。  競争を目的で仕事をしていないということは、仕事が生活の一部として限りなく馴染んでいるということでもある。これは決して、仕事を軸に生活がある、という事ではない。絵の具で例えるならば、赤と青の2色に分かれているのではなく、その間の紫にあたる、グラデーションが発生する位置で、彼らは生活している。二元論的にならずに、赤と青のバランスを保ちつつ調和することが、実は一番難しいのではないだろうか。何事もそうである。YESかNO、善か悪、と偏る方が簡単だ。  これを肌身で感じられるのは、自然の中に身を置いている影響が大きいだろう。現代は何でも、コスパ、タイパを軸に考えられてしまう。このくらいの労力と時間をかけたのだから、それに見合う報酬が与えられるのは当たり前である、と考えてしまうのである。川遊びをしていて、コスパタイパより美しいものを発見してしまった。「思い通りに行かない心地よさ」である。時間と労力を使って、1匹も獲物を捕まえられない。それこそ「自然」だ。この感覚は、人間ならば忘れてはならない。なぜなら、私たちの身体、人体も自然だからである。気づいたら生まれ、災害のような病を患い、あっという間に死ぬ。今回、「自己理解」のワークがあったが、自己、の範疇に収まらない、人間理解に繋がる事である。

都会にはないあたたかさ

今回のワークショプでは、より下田を深く知ることができた。元々私は下田に旅行として行く機会が多かったけれど、下田に暮らす人々や環境問題などは深く触れてこなかった。私が今回の下田のワークショップで受けた刺激は様々あるが、竹の問題と現地のコミュニティーに興味を抱いた。  シンガポールやニューヨークという都会に住んだ経験が長い私は、竹に触れる要素などなかった。そのため、竹がどのように育ち、環境にどの様な影響をもたらしているかなど知る余地もなかった。だが、今回竹と実際に触れ合う機会を得て、竹という意味不明な木がもたらす影響を知ることができた。特に下田では高齢化が進んでおり、竹を切っても処理してくれる人や利用してくれる人が少ないのだ、と学んだ。しかし、竹は木の一種なため、上手く処理をすることができれば、美しく利用することができる。例えば、今回のワークショップで実際体験した「竹あかり」を作ったりすることができる。また、竹を使って家を建てることもできるし、上手く利用しようと考えれば、可能性は数えきれないほどあると思った。  しかし、下田や他の地方では竹が増えていき、竹害、をもたらす。竹の成長する速度はとても早く、他の木と比べて高く成長する。その結果、竹を上手く管理しなければその地域で育つ他の植物が育たなくなる。この問題を知ることにより、私は将来竹を利用したビジネスをできる、と考えた。竹の処理を上手くし、一般に使われている木の様に利用することができれば、竹は人類の偉大な資源となるだろう。また、竹を管理することにより、竹害で苦しめられている地方の問題改善にもつながると考える。  下田では東京とは違うコミュニティーの集まりがある。風まち下田で二泊した時、下田のコミュニティーの暖かさに感動した。風まち下田では、誰もが集まれるようなイベントがあったり、海外から旅行としてくる観光客もいた。皆お互い知らないはずなのに、風まち下田に足を踏み入れることにより「家族」のような安心感を感じさせる。また、さいとうスクールの子どもたちと交流した際、東京の子どもたちとは異なり、みんなで自然の中で遊ぶ姿が見られ、より強い絆を感じた。下田は小さな街なので、しばらく住めば、街の人たちの多くと顔見知りになれ、東京ではなかなかできない人間関係を作ることができる。そのため、人生の多くを都会で暮らした私からすると少し羨ましい。  最後に、今回のワークショップを通して下田への関心が一層高まった。これまで行ったことのなかった南伊豆で、下田の方々と交流し、また訪れたいと感じた。将来、竹を活用したビジネスを始めるなら、まずは下田から取り組みたいと考えている。

​日常の中で得られる幸福

下田での旅は、私の想像をはるかに超えて充実した、濃密な一週間であった。  大学生活が始まって以降は、アルバイト・部活動・学業の両立に追われる日々が続き、自身の将来についてじっくり考える時間が減少し、その重要性を忘れがちになっていた。 それに加え、通学時にはスマートフォンを片手に持ち、イヤホンで耳を塞ぐことが習慣となっていたため、自ら人の輪から離れていっているような感覚を覚えることもあった。しかし、下田での滞在はそのような日常とは対照的であり、スマートフォンとは距離を置き、自然や人との関わりを通じて社会とのつながりを再認識する貴重な機会となった。毎日が印象に残る出来事で盛りだくさんだったため、「最も印象的であったこと」を一つに絞るのは難しいが、個人的に特に印象深かった二つのことについて述べる。  下田に来て数日ですぐに感じたことは、下田の方々が自分にとって「やりがいのあること」を仕事としている人が多いということであった。私の目から見ると、東京で出会う人々と比べて(もちろん個人差はあるが)、下田の人々は自分が本当にやりたいことに集中し、それを心から楽しんでいるように見えた。例えば、民宿カフェを一から作り気軽に幅広い年齢層の人々が出入りしコミュニケーションを取ったり仕事をしたりする場所を作ったことや、余った竹で工作し幻想的な景色を楽しめるよう「竹あかり」というイベントを開催したり、自分の仕事に誇りと喜びを持ちそれを他人とシェアする様子が伝わってきた。その姿はとても自然で、無理をしていない幸福感にあふれていた。一方で、東京では、旅行に出かけたり、ブランド品を買ったり、おしゃれなカフェに行ったりすることで一時的な満足感を得る人が多いように思う。どちらが良い悪いという話ではないが、幸福の形には「日常の中で得られる幸福」と「非日常を通じて得る幸福」という二つのあり方があるのだと感じた。下田で過ごした時間は、前者のような日常的な幸せの豊かさに気づかせてくれる経験だった。  二つ目に印象的だったのは、小篠さんのセッションで学んだ、コミュニケーションと信頼の築き方である。日常生活において欠かせない「人と話す」「信頼を得る」といった過程を、段階的に学べたのが非常に印象に残った。特にデモンストレーションでは、相手の悩みを実際に聞く場面を通じて、傾聴の大切さを実感した。小篠さんは話す相手に「ここでは話しても大丈夫」という安心感を与えてくれる方で、その温かい空気があったからこそ、私自身も素直に話すことができた。この体験を通じて、私は「コーチング」というビジネスがあることを初めて知った。そして同時に、中学生の頃に感じた「人の悩みに寄り添う仕事をしたい」という夢を思い出した。当時、家庭環境に恵まれなかったクラスメイトの相談にうまく乗れなかったことを今でも後悔しており、その子の力になれなかった分、将来は悩みを抱える誰かの支えになりたいと思った。その思いが心の奥に残っていたことを、この下田での学びを通して再確認できたのは、私にとって何より大きな収穫だった。  今回の下田での学びは、普段の生活では得られない気づきや人とのつながりを通して、自分自身を見つめ直す貴重な機会となった。人との関わり方や、日常の中にある幸福の形について考えることで、今後の人生や将来の方向性を見つめる大切なきっかけになったと感じている。

唯一無二の町

今回、私たち8人は下田市で菊下塾主催のワークショップに参加した。下田に初めて足を踏み入れたとき、すぐに感じたのは、この町がただの観光地としての顔だけではなく、人と人とが自然に結びつき、互いに温かく受け入れる力を持っているということだ。下田には、訪れる人々にとって心地よい空気が漂っており、その魅力に私は深く引き込まれた。  私が特に心を動かされたのは、この町が人と人を自然に結びつける力を持っていることだ。ある移住者の話を聞いたとき、そのことを強く実感した。彼は東京から下田へ移り住み、地域の一員として活動を続けている人物である。自身の利益を第一に考えるのではなく、人が集まり、出会い、つながる場を整えることを大切にしてきたという。その姿勢は、一時的な移住者ではなくこの町の一員として根付いている証だった。  移住者が地域に溶け込むのは決して容易なことではない。多くの地方では、長年住んでいる人と移住者の間には見えない壁がある。表向きは仲間として接していても、ひとたびトラブルが起これば「あの人は余所者だから」と線を引かれることも珍しくない。私自身、そうした排他性を地方で何度も目の当たりにしてきた。  しかし、下田市ではその光景がまるで逆転していた。下田では、UターンやIターンでやってきた人々が、自らのアイデアを地域に持ち込み、実際に形にしている。そして驚くべきことに、それを拒まず、むしろ応援し、一緒に汗を流す地元住民がいるのだ。ここでは余所者という言葉にネガティブな響きがない。むしろ、外から来た人が持つ新しい風を歓迎し、その風を町の空気として取り込んでいく柔らかさがある。こうした空気感は、他の地方都市ではなかなか得難いものだろうと思う。  町の人々の暮らしぶりにも、他とは異なる独特の余裕がある。都会のように時間に追われることもなく、田舎特有の閉鎖感もない。日々の暮らしが人との関係性を軸にして成り立っている。私が最も驚いたのは、子供たちと大人たちの関係性だった。  私の育った田舎では、大人と子供の世界は明確に分けられていた。子供が大人の話に口を出すことは失礼とされ、上の者の言うことを聞けと叩き込まれたものだ。しかし、下田高校で出会った下田市の子供たちは違う。夢を語ることを当たり前とし、大人と同じ目線でまちづくりの話をする。しかもそれを大人たちが真正面から受け止め、対等に議論している光景に出会ったとき、私はこの町の底力を見た気がした。子供たちの発言が大人を動かし、大人たちがまた新しい場をつくる。世代を超えた対話の連鎖が、下田の空気をやわらかく、そして豊かにしているのだ。そこには、大人だから、子供だからという分断はない。互いを一人の人間として尊重し合う土壌が確かにある。  下田は、典型的な田舎のような、誰かを排除する線ではなく、誰もが踏み入れられる柔らかな輪を築き上げていると感じた。移住者の力と地元の懐の深さが共鳴し合い、新しい文化が自然と生まれていく。だからこそ大勢の人を魅了するのだと思った。下田を訪れた人が口々に、また来たい、ここに住みたいと言う理由は、この独特な心地よさにあるのだろう。ここには、都会に疲れた人が癒やされる田舎でも、閉ざされた地元社会でもない、もう一つの可能性があると思う。人と人とがつながる空気、世代を超えた対話、外と内を隔てない温度感。それらが重なり合って、他にはない町を形づくっている。外から来る人を受け止め、内側にいる人が柔らかく広がるように促す、下田のような場所が、日本中にもっと増えればいいなと感じた。そう思わせるだけの力が、下田には確かに息づいている。

​人と自然との共存を知る

今回私たち8人は伊豆半島に位置する下田と南伊豆を訪れた。私はこの1週間の活動を通して、主に人と自然との繋がりを学んだ。  具体的には、初日はまず「風まち下田」での活動から始まり、地元の方々の話から下田においての人と自然の付き合い方を学ぶ1日だった。その中でも津留崎さんの話が印象的で、都会での経済活動主体の生活と、田舎での自給自足の生活との二つのライフスタイルを学んだ。これら二つの暮らし方を通し模索していく中で、下田で人と人とを交流する場を作ることこそが自分に合っている、と話した。その後、地元の子供たちと下田の街を周り、BBQなどで交流をしたが、それらの輪をこの「風まち下田」が作り上げていることに気付き、都会では得られない人と人との密な交流の重要性を学んだ。また、地元の子供達は年齢問わず仲がよく、一人一人の環境問題などに対する意識の高さを顕著に感じた。  次の日には寿司ラボという場所で寿司作りの体験をさせてもらったが、そこでの事業形態も興味深かった。通常は寿司を客に提供するまで10年かかると言われている寿司修行であるが、そこでは2年ほどで板前として活躍し、尚且つ修行をして寿司を握る職人さんとは完全な雇用形態を結ぶことで、よりスピーディーに職人として活躍できる。更に客自身も、たとえば週一日だけ寿司職人として働ける楽しみがある。この仕組みは、人との繋がりが深い下田だからこそ成り立つ形なのだと考える。これを東京で行おうとしても、おそらく同じ様には行かないだろうから、仕事としてではなく、人としてつながっている下田だからこそ、ある種助け合いの関係が生まれる。  翌日には、竹あかりの制作によって自然との付き合い方を学んだ。竹は本来優秀な建材であるにも関わらず、日本ではインドネシアや南アジアに比べて竹を使った建造物が少ない。竹あかりを通して、竹の魅力と可能性に気づいたからこそ、それを有効活用できないもどかしさが生まれた。竹産業に関して言えば、まだまだ人と自然との相互理解が深まっていないのが現状と言える。竹の経済的な扱い方を見つけ、それを日本の財産とするべく活動していくことが竹や自然の活性化にもつながると感じた。  また、そこに住む生態系についても学んだ。四日目には南伊豆での狩猟現場を訪問し、猟師の方との交流から、後継者不足に悩んでいる点や鹿肉の扱いの難しさについても学んだ。加えて、近年日本中で問題になっている熊被害についての考え方も学び、熊に対して遊び半分に食料を与え、それによって人里に降りた熊を駆除しなければならない苦悩も語っていただいた。動物愛護などを掲げて熊駆除を批判する人もいるが、知識もなく無闇に動植物に近づかずに自然との付き合い方を学び、人と自然との境界線を理解することこそ、真の動物愛護だと考える。  このように、様々な活動を通して人と自然との繋がりやそれらの境界線を学べたワークショップだったと私は考える。まず人との繋がりでは、都会では得られ難いオープンな付き合い方がここ下田で行われているのだと感じた。それは決して仕事や肩書によって判断しない、経済的に自立しつつ支え合い、依存しない関係である。お互いをフラットな目線で捉えるからこそ対等な交流ができ、また風まち下田のおかげで、外から来た我々も疎外感を感じることなく、素敵な体験ができた。  下田の方々は自然との向き合い方にも現実的であった。環境保護やSDGsが叫ばれる昨今であるが、本質的に自然と共生できるようになるには、やはり肌で触れ合うことが一番の近道だと考える。自然を特別視せず、決して無碍にはしない、生活の一部として浸透した付き合い方があった。つまり、経済活動として自然からの恩恵を受けると同時に、生態系を壊さない程度に手入れも行う、ある種支え合うビジネスパートナー的な形が合った。私はここで、人と人、そして人と自然との対等な関係性を学んだ。

​2025 Workshop in Nagano 8.11.2025  山の日

Review essays from the participants  参加者からの感想

日本の信仰の中心は米

八剣神社で宮坂宮司から伺ったお話で初めて日本人の生活の中心にはいつの時もお米があったということを知りました。日本人がこのような人種でこのような性格をしているのもこれまでの時代の生活習慣が深く関わっているのだと改めて感じました。さらに今まで体験したことがない、とても丁寧で本来のあり方であるお参りをさせていただいたので、とても良い経験になりました。

​日本語の語源に神事

日本の神道の根幹には農業(稲作)があり、言語にも神事を語源に持つものが多数あることを知りました。

お蚕さま

初体験でしたが、貴重な経験をさせていただきました。昔の方々が、蚕を『お蚕様』と言ったかわかるような気がします。 機械化されていない時代の器用、正確性にいろいろなカテゴリーにも共通しますが、感嘆いたします。そこに触れた感覚です。

​絹織物体験

どれ程の労力と時間を費やして織物が作られているのか、体験して、改めて思いました。岡谷シルクが復活し、高品質な日本のシルクが末永く残ってほしいと思います。

絹を製造することの大変さ

今まで触れたことも無いようなお話をたくさん学び、特に驚いたことは、岡谷が以前はシルクの名産地であったということです。日本とシルクというのがあまり今まで私の中で結び付かなかったので、かつて名産と海外からも知られているシルクが岡谷にあるということに驚きを隠せませんでした。さらに、シルクの布を糸から生み出すのがどれほど大変なことなのか、今回製造工程を見て初めて知りました。いつも見ているのは完成系のとても綺麗な状態のものなので、それにたどり着くためにこれほど大変な作業が伴っているということを知りました。

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